土曜ナイトドラマ『M 愛すべき人がいて』が、2020年4月18日(土)からスタートしました!
ノンフィクション作家・小松成美による「事実を基にした」フィクション小説が、原作になります。なお、ドラマのキャストはほぼオリジナルです。
このページでは、原作『M 愛すべき人がいて』の
- 原作ネタバレ
- あゆからのメッセージ
- あゆの親友メイは誰?
についてまとめています。
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M 愛すべき人がいて 原作・ネタバレ【第1章・出会い】
改名
中学生になると同時に芸能事務所に所属し、15才で上京。
ドラマ出演を果たし女優と呼ばれていたが、事務所がつけた芸名「浜崎くるみ」が苦手で、本名「歩」をひらがなにして「浜崎あゆみ」に改名した。
高校は、私立高校の芸能活動コースに進学。
女優やアイドルばかりで居心地はよく、クラスではあえて友達は作らなかった。しかし、女優のメイとは自然に打ち解け、渋谷で遊ぶ仲になった。
(ドラマ出演が増えはじめ、17歳の秋に高校を中退。)
ヴェルファーレ
1994年12月。
エイベックスが六本木にオープンした、アジア最大のディスコ『ヴェルファーレ』に通い始め、年齢をごまかしても入れるほど顔見知りになった。
スタッフからあゆちゃんと呼ばれる仲になり、行列に並ばず入場できた。
ヴェルファーレに通いはじめて1年が経ったころ、VIPルームに案内されたアユに、エイベックスの専務・松浦勝人を紹介された。
当時は、MAX松浦として数々のヒット曲を手掛けていた大物プロデューサー。イメージとは違って若く、隣には奥さんもいた。
その日は自己紹介して、記念に一緒に写真を撮ってもらった。
これが初めての出会いだった。
大晦日のカウントダウンイベントでは、松浦専務に存在を忘れられていたが、電話番号を聞かれ交換した。携帯のメモリーには「M」で登録。
その後、松浦専務から誘われ『ヴェルファーレ』の新年パーティーに出席。
Mから年齢を聞かれ15才だと答えると、すぐにタクシーで帰らされた…。
Mとのささやかな時間
仕事終わりには『ヴェルファーレ』のVIPルームに行って、仕事の話をする松浦専務の隣で静かに座る日々を送っていた。
Mに会食に連れていかれると、側近の取締役やMの高校の後輩「HIRO」がいた。
オフの日のあゆは、いつもMの電話を待っていた。
Mのことが好きだけど胸に秘めて…。
ドライブに出かけたとき、Mから「お前面白いな!」と言われ赤面したり、手を繋ぎたいと遠回しに言っても、Mは照れて繋いでくれなかったり…。
こうして『ヴェルファーレ』で過ごす時間は減り、外で会う時間が増えていった。
大丈夫、オレを信じろ
1996年の冬。
ドラマ出演はつまらないし、水着のグラビアで作り笑いもできないという理由で、あゆは所属事務所との契約更新しなかった。
そのことを電話でMに伝えると、アユの将来を心配したMは、
「エイベックスで歌え」
とあゆを誘った。すぐに直接会って
「大丈夫、オレを信じろ」
と言ってくれたMに、あゆは安堵と嬉しさで泣いてしまい、その日は一睡もできなかった。
〜翌朝〜
あゆは「やっぱりできない。」でも「本当は歌ってみたい。」と、揺れ動く気持ちを留守電に入れた。
すぐにMから電話がかかってきて、
「もう一度言うよ。俺を信じろ」
と言われたアユは、
「・・・はい歌います。」
と、答えた。
M 愛すべき人がいて 原作・ネタバレ【第2章・想い】
渡米。単身ニューヨークへ
1997年。
ある日、あゆは突然ニューヨークで3か月間、ボイトレとダンスのレッスンを1人で受けてこいとMに言われる。
ボイストレーナーのマユミは鬼教官だった。
1日8時間、1対1で厳しく指導され辛い毎日を送っていたが、Mからの電話がアユの救い。その後も、Mを失望させたくないから必死で喰らいついた。
2か月が過ぎたとき、アメリカに出張中のMとニューヨークで再会。プラダの高級コートをプレゼントしてくれた。
ニューヨークから帰国後。
アイドルやボーカルグループの合宿に参加し、
- 走り込み
- 筋トレ
- 短距離ダッシュ
- 長距離競走
など、ハードなトレーニングメニューをこなした。
ソロ1人のアユは、他の女子たちから「陰口を叩かれたり無視されたり」したが、Mの「俺を信じろ」の言葉を支えに。
Mはあゆを、製作部門や作曲家、芸能事務所社長やマスコミなど身内以外の人間に紹介したが、みんなからは口を揃えて「この顔は売れない」と言われる。
そう言わる度に、Mが机の下で握った拳が怒りで震えるのを見たあゆは、外野から何を言われても平気だった。
そんな中、Mが奥さんと別居して1人暮らしを始めた。
Mの新恋人ははあゆより10才年上で、あゆを優しく励ましてくれる大人の女性だった。
作詞
来年の1998年4月8日に、あゆのデビューが決まった。
当初は3~4人メンバーを揃え、メインボーカルがあゆというグループ構想だった。
しかしあゆは、グループの中で自分を表現する自信がなく、人に合わせようとすると自分らしさが消えてしまう性格。
あゆは「1人で歌いたい」と直談判したところ、Mはソロを許してくれた。
曲が用意され、あゆは初めて作詞をすることになった。
Mに見せると「才能があるから、もっとどんどん書け」と褒められ、あゆの曲は全てあゆの作詞に決まった。
あゆはMに褒められたことが嬉しくて、どんどん楽しくなっていた。
Mには伝えていないが、あゆの詩はMに対するラブレターだった。本当の気持ちを読んでくれている。
叶うはずのない、絶望の恋。
しかし今はMの傍で歌うことが出来る。アユにはそれだけで十分だった。
M 愛すべき人がいて 原作・ネタバレ【第3章・歩む】
スーパースターに。
あゆの初めての作詞は、デビュー曲『poker face』に採用された。
そんな中、体調を崩し福岡で入院していた、大好きな祖母が亡くなった。
訃報を周囲に伝えず歌に集中し、後日1日だけ休みをもらい福岡の葬儀に出席して、すぐに東京へトンボ帰りした。
レコーディングが無事に終わり、次はMV(ミュージックビデオ)撮影。
自信のないあゆに
俺がお前をスターにするよ。これまでの誰とも違うスーパースターに。
と、Mは言ってくれた。
4月のデビュー以降は、2か月ごとにシングルを出すことになり、2枚目のシングルは『YOU』に決まった。
あゆは親戚の実家を離れ、スタジオ近くのMが所有する恵比寿の高層マンションにメイと暮らすことになった。
Mの離婚
正式に、Mの離婚が成立した。
あゆはこれからを想像し内心ドキドキしていたが、きっとあの新恋人と結婚するのだろうと思っていた。
そんなMは、あゆの売り出しに必死で、あゆを拒否した歌番組のプロデューサーに殴りかかる事件もあった。
あゆは、歌が下手だからだと自分を責めていた。
荒れていたMのために、あゆは
歌詞ではない本当の手紙で、
「あなたが好きです」
「全力で歌うことを誓います」
と本心を綴り、MのプライベートFAXに送った。
すると「お前が必要だ」と、MからあゆにFAXで返信があった。
その後、Mはアユの母親に真剣交際を伝えた。横浜の実家にもアユを連れていき、両親に「俺の彼女」だと紹介してくれた。
Mは新恋人とは別れていていた。
あゆ、俺と付き合ってほしい。
俺の人生にあゆが必要だ。
そしてアユを抱きしめ「いつの間にか好きになっていた」と告白し、帰りの車内でキスをした。
さらにMは「一緒に暮らそう」と言い、毎晩おやすみの電話をするようになった。
M 愛すべき人がいて 原作・ネタバレ【第4章・信じる】
デビュー
あゆの中でMは「プロデューサー」と「彼氏」になり、お互いに忙しくても寂しくなくなった。
一方でアユも「新人歌手の浜崎あゆみ」と「15才年上の彼氏をもつ19才の女の子」になっていた。
1998年4月8日。ついにデビューの日が訪れた。
そしてプライベートでは、Mの青山のマンションに引っ越して同棲スタート。あゆのために部屋が改装され、とても広い部屋だった。
スタジオ完備でレコーディングも可能だった。
多忙のなか丸一日一緒に過ごす休日を取り、横浜のみなとみらいのホテルで2人きりで過ごした。これまでのことを語り合う、Mとあゆ。
この秘密の恋愛が世間にバレたら、スキャダルになる。この頃からあゆは、Mを「マサ」と呼ぶようになった。
あゆは家事もこなし、一番大切な役目は「その日のマサの洋服」を決めること。
マサのもとに集まる楽曲を一緒に聴いて、アレンジやミックスを学んだ。意見が対立して喧嘩することもあった。
ベスト10入り
デビューシングル「poker face」と2枚目シングル「YOU」は、オリコン20位。
ところが、3枚目の「Trust」
4枚目の「For My Dear…」
が9位にランクインし、見事ベスト10入りを果たしたが、まだまだ上を目指していたマサは、渋い顔だった。
20才の誕生日。
マサからアユのためにデザインした指輪をプレゼントされた。
あゆは
歌手として成功してマサを喜ばせたい。
でもいつか、マサの子供たちのためだけに過ごすお母さんになりたい。
と、想いを伝えた。
エイベックスの幹部や秘書からは、交際は公私混同だと大反対されたが、マサは
「お前たちのボーナスを全部あゆが稼ぐ日がくるから文句は言わせない」
と反論してくれた。
そしてあゆは、マサの想いに報いる方法を
- 歌をもっと上手になる
- 良い詩を書く
- 必要としてくれる人をたくさん作る
- CDをたくさん売る
- 賞をとる
- どんなに多忙で会えなくても文句を言わない
箇条書きした。
あゆの評価が一変する
12月9日発売の新曲「Depend On You」がオリコン6位にランクイン、
「Trust」で日本有線大賞の新人賞に輝くと、急激に周囲の反応が変わっていった。
1999年の元旦に1stアルバム「A song for ××」をリリースすると、オリコンチャート1位を獲得した。
アルバムは「150万枚超え」の大ヒットした。
あゆの生活は一変した。
- レコーディング
- 写真撮影
- MV撮影
- テレビ出演
- 雑誌インタビュー
無限にめぐってくる、仕事。
普通の20才女子の生活は、できなかった。
M 愛すべき人がいて 原作・ネタバレ【第5章・別れ】
激動の1999年
1999年は激動の年となった。
分刻みのスケジュールの合間を縫って、マサと2人でいられる時間を作り、その時だけあゆは人間に戻れた。
どこにも出掛けず、マサのサクセスストーリーを家で聞くのが唯一の楽しみだった。
しかしあゆは、自分の歌が当たり前のように街で流れることに現実味が沸かず、浜崎あゆみは本当に自分なのか?と恐くなった。
やがて世間が求めるイメージから逃れるように、フード・帽子・マスク・サングラスで顔を隠し、人目を避けるようになった。
「あゆには笑顔が似合うよ、笑えよ」
と抱きしめるだけで、追い立てる時間から助けてはくれない。やがてあゆは、松浦とマサの間で立ち尽くすようになってしまう。
「浜崎あゆみ」はエイベックスの中で最大のプロジェクト。
マサは完璧を求めるあまりいつも緊張感があり、普通に話せる相手はあゆだけ。恐ろしいスピードで仕事をするマサは、その反動で意識を失うほど大量に飲酒するようになった。
やがてマサが酒を飲んで倒れることが恐くなったあゆは、交際のことで苦しんでいるのかと思った。
何かできないかと考えたあゆは、アルコール依存症を描いた映画のDVDを部屋に置くと、マサはミーティングをキャンセル。
DVDを見終えると「心配させてゴメン」と謝った。
できることあったら何でも言ってほしいと訴えたが、マサは「あゆは世間の好みになる必要はない」と答えた。
そしてデビュー2年目はシングルリリースのペースが速くなり、詩(マサへのラブレター)は膨大な量になっていった。
そして「Boys & Girls」を夏に発売すると
ミリオンセラーのヒットとなり、日本レコード大賞の優秀作品賞を受賞。初の紅白初出場も果たした。
すれ違い
あゆはやがて、
「平成の歌姫」
「女子高生のアイドル」
と呼ばれるようになっていった。
しかし、夏を迎える頃には2人の歩幅が少しずつズレはじめていた。
- 仕事に没頭し続けるマサ
- 2人で過ごしたいあゆ
徐々に心がすれ違っていく。
同棲はカタチだけで、着替えるために帰宅するだけ。青山のマンション周辺を週刊誌の記者がうろつくようになった。
スキャンダルを警戒するマサは別の仕事用マンションで寝泊まりするようになり、あゆと顔を合わせることはなくなった。
そんなある日、若い女性たちやスタッフと一緒にパーティーをしていたマサが酔いつぶれていた。自分と一緒にいることに飽きたと思ったあゆは、黙って部屋を出た。
その後、以前マサと宿泊した横浜のホテルに、誰にも言わず1人で泊まる。
スタッフやマネージャーは慌ててあゆを探したが、ホテルから出ず、誰とも連絡を取らず、水だけ飲んで3日間過ごした。
数日後にマサから、ヴェルファーレも自宅パーティーも仕事の一環だと、誤解させたことをあゆに謝った。しかしマサは「数日でいいから2人で過ごしたい」というあゆの言葉を遮った。
2人の心にできた隙間に、アユは唖然とした。
クリスマスにプレゼントされた指輪を見ると悲しくなり、車の窓から投げ捨てたが、メイが「専務の気持ちを捨てるなんて絶対ダメ!」と叱られた。
同棲解消
あれから、マサは部屋に戻ってこなくなった。
あゆは青山のマンションを出て、メイと暮らす恵比寿のマンションに戻った。こうして、マサとの同棲は終わった。
その夜、Mステで「Boys & Girls」と「appears」を歌った終盤、生放送中に泣いてしまい、様々な憶測が流れた。
あゆは、ワガママを言ってもイライラせず優しく諭すマサが嫌いだった。
叱って守って抱きしめてほしくて「マサがいなくても1人で全てできる」とわざと傷つけることを言うと、マサは黙って頷いていた。
俺はあゆに全て教えたからな。
あゆの詩は、少女たちのバイブルだからこれからも書いて欲しい。作曲もできるだろう。
俺の手を離れた浜崎あゆみはどこまでも大きなっていくはずだよ。
誉められてるのに悲しかった。
あゆはホテルを転々とするようになり、自分を取り戻す理由でハワイへ飛んだ。マサからは何の連絡もない。あゆは、マサがいない日が当たり前になっていくのが恐った。
そんな時、マサから電話が。
「この1年で何もかも変わってしまった。あゆは1人で世界の頂点へ駆け上がるんだ」
マサはプロデューサー業を離れ、ハワイのスタジオで音楽制作に専念するという。これは、別れの言葉だった。
あゆは「そう、行ってらっしゃい」とだけ言って電話を切ると、号泣した。その後、携帯アドレス帳のMは2度と鳴ることはなかった。
マサへの想いがさらに募っていく一方で、2人で世に送り出した「浜崎あゆみ」というアーティストをアユは背負っていく覚悟を決めた。
その後、マサへの永遠の変わらない愛と尊敬を詩にした。それが「M」だった。
M 愛すべき人がいて 原作・ネタバレ【最終章・Mとの・・・】
平成から令和へ。
ライブツアー「2018-2019」。
エイベックスの会長兼CEOになったマサがあゆの楽屋を訪ね、
ずっと言えなかったことがある。
俺がこの世界でやってこられたのは、あゆが破局後も全アルバムに『プロデューサーMAX松浦』とクレジットしてくれたから。
そのおかげで今の俺がある。
と、本心を語った。
あゆはマサを喜ばせるという夢が叶ったと、飛び上がりたい気持ちになった。
その後、記念に2ショット写真を撮影した。16年の時を経て再び、マサは寄り添ってくれた。
左耳の聴力を失い、ともに生きていこうと願った人と別れ、ともにヒットメーカーであることの幸運を知っている私は、無傷ではない。
むしろ、転んで傷だらけになった自分を隠さずに生きている。
そんなふうに正直になれたのは、マサがいたから。
あなたがどこにいても、長い時間会えなくても、もう寂しくはない。
「浜崎あゆみのいる場所は大空にある」と言ってくれたマサへの感謝を胸に、あゆはこれからもステージで歌い続ける。
あゆからのメッセージ
事実に基づく、フィクション。
読み終えて下さった皆さんは今、一体どの部分がリアルでどの部分をファンタジーだと感じているんだろう。
もちろん答え合わせなどするつもりは無いし、真実は当人達だけが解っていれば良い事だと思っている。
ただ、もし誰かに、「今回の人生で一生に一度きりだと思えるほどの大恋愛をしましたか?」と問われたなら、私は何の迷いもなくこう答えるだろう。
「はい。身を滅ぼすほど、ひとりの男性を愛しました。」
と。
浜崎あゆみ
M 愛すべき人がいて(ドラマ)『原作ネタバレ』まとめ
ドラマ「M 愛すべき人がいて」1話が終了しました。
原作に比べ、物語の進むスピードが圧倒的に早く所々脚色されていました。2話では、もう第2章に進みます。
あゆの親友・メイは誰?
ちなみにドラマでもキャスティングされていない、あゆの親友・メイですが、豊田夏来さんという方です。
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浜崎あゆみさんより2歳年上で、1976年5月26日生まれ。
2012年のラブホツアーでは、”DEICA コラボレーションバスオイル”の特設ブースで実際に実演の手伝いをしたことも。
ブログでは、あゆと一緒に誕生日を祝う写真も掲載されている。
あゆのことをCHIBIと呼んでおり「皆にいつもあゆちゃんを支えてくれてありがとぉって言葉をかけてくれるの違うんだよ。CHIBIがあたしを支えてくれてるんだ。みんなほんとにありがとねぇ!」
とツイッターで語っている。
現在は、ファッションブランド「株式会社Girty’s key」の責任者で、あゆもたびたび「Girty’s key」の服を着ている。
それでは、最後までご覧いただき有難うございました!
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